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2012/06/30

アタック・ザ・ブロック感想

 次の更新はWEB拍手コメントへの返信と思ってたんですが、あまりにもいい映画を観てしまったので、慌てて感想を書いておきます(7月13日には上映が終わるらしいので……)。南ロンドンの団地をエイリアンが襲撃! それを迎え撃つのは地元の不良少年たち! ……というわけで映画『アタック・ザ・ブロック』観てきました。予想外に、クライマックスで号泣。
(公式サイト)
http://attacktheblock.jp/
(予告編)


 僕は、「『どうしようもない』と思われていた人間が、土壇場で『誰にも真似できないような立派なこと』をやり遂げる」話に涙腺を刺激されやすいので、『少林サッカー』や『ホット・ファズ』や『第9地区』でも号泣してました。この気持ちが伝わる人には、『アタック・ザ・ブロック』超おすすめです……!

 世の中にはたまに、設定や状況がぶっ飛んでいるにもかかわらず、人の胸を強く打つ映画があります。僕はそれが昔から不思議でした。理屈で考えれば、より現実的になればなるほど(リアリティが増せば増すほど)物語は感動的になるはずです。ところが、それに当てはまらない例は山ほどある。
 とてつもなく非現実的な物語が、これ以上ないほど現実的に迫ってくる瞬間がたしかに存在する。…… これがどういうことなのか、ちょっと前に答えになりそうな文章を見つけました。
 津原泰水先生の『バレエ・メカニック』という小説(傑作です!)の解説で、翻訳家・評論家の柳下毅一郎氏が「シュール」という言葉についてこう語っていました。一部引用で。
「だが、シュルレアリスムとは決して現実ばなれした空想のことではない。それは現実の中に、現実以上に現実的な瞬間を見いだそうとする美的運動だった」
「シュルレアリストはそうした瞬間、現実が現実から飛び出し、超現実的なるものが立ちあらわれる瞬間を探しもとめた。そうした『超現実』によって世界を作りかえることこそがシュルレアリスム運動の本当の目的だったのである」

 現実の中に、現実以上に現実的な瞬間を見いだそうとする。
『アタック・ザ・ブロック』における「エイリアンの侵略」という要素は、観客を「現実ばなれした空想」に連れていくためのものではありません。エイリアンたちは、主人公たちが抱える極めて「現実的」な悩みや問題を浮き彫りにするための装置として完璧に機能しています。すべての要素が組み合わさった瞬間、映画のマジックが発動する。映画のマジックに「うまくかかる」には、(ある意味当然のことですが)映画館での観賞が一番だと思います。

 それにしても、ニック・フロスト(代表作『ホット・ファズ』の映画オタク警官)はソファでだらけた姿が似合いますね。居間でテレビ観ながらぼんやりする演技に関しては、本当にアカデミー賞もの。あと、この映画の監督ジョー・コーニッシュ。次はニール・スティーヴンソンのサイバーパンクSF小説『スノウ・クラッシュ』を映画化するらしいと聞いてピンときました。ははあ、きみ、日本刀が好きで好きでたまらんタイプのイギリス人か!
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