2011/01/11

「天城越え」「俳句」「山下卓」「ボストン・テラン」──情景描写の奥深さ。

 もう去年の話ですが。
 紅白歌合戦にふとチャンネルを合わせると、石川さゆりの『天城越え』が流れてまして。何度聞いてもいい曲ですよね。とにかく、歌詞がいい。
 リンクはっておきますが。
http://www.utamap.com/viewkasi.php?surl=31982

 山が燃えてますよー、と言われても、これ子供のときはなんのことかさっぱりわからなかったんですよ。
 今ならちょっとだけわかります。情景描写であり、心理描写でもあり、性行為の暗喩でもある。個人的には、こういった「遠まわし」な表現は大好きです。「愛してる」とか「会いたい」といった感情を、いかに「愛してる」も「会いたい」という言葉も使わずに表現できるか。それこそがプロの作詞の技だなー、と個人的に思ってます。なぜなら「愛してる」は誰が書いても「愛してる」にしかならないから。
 宮沢賢治がその詩『恋と病熱』に使った表現で、「透明薔薇の火に燃やされる」というものがありまして。これが恋心の暗喩なのか、それとも病熱の暗喩なのかは読んだ人によって感想が変わるのですが、どちらにしても素晴らしい表現です。

 こういうことを考え出すと、最終的には俳句にいきつくんじゃないかと。
 今、手元に『俳句の魅力』(角川書店)という本があって。筆者は飯田龍太。大正九年生まれの俳句研究者。そこからの引用で。

 秀句の大事な条件の一つは、その作品が過不足のないひとつの世界を持つこと。
 ひとつの世界とは、他の文芸様式を意識させない強さと言いかえてもいい。
 目立った言葉は何ひとつなく、しかも完結した表現から、
 読者が自由にじょうじょうの余韻を引き出し得るとしたら、
 俳句としては、きわめて上質の出来栄えと言える。


「遠まわし」な表現が何を引きだすかと言ったら、「余韻」につきます。これが大事なんです。なんで僕が作詞や俳句に興味と持ったかというと、この技術を小説の情景描写に応用できないか? と考えたからなんですね。
 同じく『俳句の魅力』から。

 洛北も果なる家の柚の木かな
(中略)
 ついでながら、この句は、既成の季の約束に従うなら無季に属す。
 言うまでもなく柚の実なら秋だが、
 柚の木には、栗の木、柿の木と同じく、特定の季は定めがたい。
 しかしこのことは、作者も十分承知していたのではないか。仮にこの句が、

 洛北も果なる家の柚の実かな

 となると、正しく季物が入り、一見情景は鮮明となるが、対象に視点が近づき過ぎる。
 そのため「洛北も果なる家」という晩秋の旅懐が薄らぐ。


 というくだりを読んで「なるほど」と目からうろこが落ちました。
 これは確かに絵や映像では表現しにくい、俳句ならではの情景描写だとうならされました。
「柚の木」と「柚の実」を比較するだけで、物理的ではない、感覚的な距離の違いが示されています。上手くいけばその情景は感情を揺さぶり、余韻を引きだす。最終的に、上出来の情景描写は読み手の感情と密接に絡み合うわけです。

 小説の情景描写は、当然、まず状況説明でなければいけない。しかし長編小説なら、一か所か二か所、もう一歩踏み込んだ描写があってもいいんじゃないかと。僕は先輩作家の山下卓先生によくお世話になっているんですが、物凄く僕好みの情景描写をお書きになるんですよ。 山下先生の『神歌』(徳間書店)から引用で。

 青木々原樹海──千二百年前、この地は富士の麓からあふれ出た溶岩によってすべての生命が焼き払われ、鉄に覆われた不毛の大地となった。そこに苔が生え、水を蓄え、その苔が死んで薄い表土となり、か細い草木を育てた。その草木が死んでまた薄い表土を重ね、千年の時を経て檜や栂などの樹木を茂らせた。今もその表土は、硬い鉄成分の溶岩層の上をわずか数センチの厚みで覆っているにすぎない。だから、木の根は地中ではなく横に広がり、溶岩の上などに触手のようにしがみつく。分厚い苔に覆われた表土は足を滑らせ、大地に広がる根は足を躓かせ、煮えたぎった溶岩の名残は至る所に巨大な落とし穴や深い亀裂を広げている。

 これは、主人公が宿敵との決戦に向かう直前の描写です。
(細かく書くとネタバレになりますが)
 ここから描かれる戦いのテーマが、ごく自然に情景描写に組み込まれています。
「何を細かく書いて」
「何を細かく書かなくていいのか」
 そういった取捨選択のバランスが絶妙だと思います。
「その苔が死んで薄い表土となり」……という一文に、くらくらしました。洗練されてるなあ、と。シンプルな凄味があります。

 そして大好きな海外ハードボイルドからも。
 ボストン・テランの『神は銃弾』(文春文庫、田口俊樹訳)で。

 ボブは一人で外に出る。そして、地平線に向け、家々が整然と中腹に並んでいる丘の稜線を眺める。キッチンや居間に明かりがすでにともっている。それが岩だらけの荒地で焚かれた遠いかがり火のように見える。その向こうを走るフリーウェイから、モハーヴェ砂漠に──無色のサルビアのようなネヴァダとアリゾナの夜の砂漠に──向かう車の音がかすかに聞こえる。世界が突然、遠近法を失った果てしないものに見える。とらえどころのないものに。純然たる地球の力があらゆる思い出を押し流す波のように感じられる。あらゆる記憶を消しさる波に。その奇妙な感覚に彼は自ら驚く。

「遠近法を失った果てしないもの」という一文に、心に刻まれるような余韻を感じました。好きな表現だなあ。
 さっきの俳句の解説にもありましたが、ボストン・テランの情景描写は「距離感」がいいですね。地平線、かがり火、夜の砂漠というつながりが美しい。 あとこれは余談ですが……この小説は、印象的な情景描写のあと死体か暴力のシーンに入っていくことが多いんですよ。たぶん、狙ってやっているんだと思います。

 この調子で引用していくとキリがないのでこのへんでやめておきますが。
 ウィリアム・ギブスン、ロバート・E・ハワード、そして三島由紀夫、船戸与一、開高健、大岡昇平、福井晴敏(すべて敬称略)の情景描写も印象に残るものが多いです。それぞれ方向性は微妙に異なるんですが。
 もちろん作詞と俳句と小説はまったく違うジャンルです。でも、共通点はある。言葉を愛する人間には必ず伝わる、『北斗の拳』で言うと「秘孔」みたいな一文があるんです。『天城越え』にはそれがある。何百年も残るような秀句にもそれがある。 僕ももっと情景描写が上手くなるために勉強あるのみですね。
 ……そんなことを考えているうちに、紅白歌合戦が終わってましたとさ。

 次の更新はWEB拍手レスの予定です。
 いつもたくさんのコメントありがとうございます……!
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2011/01/02

今年最初の一冊。

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ロマンス、バイオレンス&ストロベリー・リパブリック2
「あんな男は見たことがなかった。銀色の腕が、まるで冬の月のように冴え冴えと輝いている」──。
剣と魔法の大陸で、若き特殊部隊員リョウトは、大使館の駐在武官としてエルフの恋人フランカと幸せな日々を送っていた。しかしそんな彼に新たな任務が下る。軍事強国マルランダに、選び抜かれた精鋭とともに正体を隠して潜入。独裁政治を行う邪悪な女王を倒すという非正規作戦(イレギュラー・オプス)だ。新たな仲間、そしてリョウトたちの前に立ちはだかる伝説の傭兵──「銀碗のコルテス」。
ロマンスと暴力のファンタジー、第2巻。
(本文内容紹介より)

http://gagaga-lululu.jp/gagaga/release/index.html#06
(ガガガ文庫公式ホームページ)



 一巻よりもかなり長い話になりました。「今回は戦争シーンをがっつりやろう!」と。で、書き始めると色々止まらなくなるという。織田non先生の素晴らしいイラストのおかげで、新キャラクターたちもいい感じです。表紙の、褐色の肌を持つエルフは、ニコレッテ。エルフェンクラング国軍特殊コマンド(KSK)の上級准尉。彼女が作中でどんな役割を果たすのかは、本編の発売をお待ちください……!
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