2016/11/20

最近のゲーム。

洋ゲー『バトルフィールド1』のキャンペーンをクリア。
まだまだゲームでは珍しい第一次世界大戦もの。
アラビアのロレンスと一緒に戦うチャプターが一番楽しかったです。
キャンペーン、もうちょっと長くてもよかったかも。
ゲームのジャンルは違いますが、同じ第一次世界大戦モノだと、
『バリアント・ハート ザ・グレイト ウォー』のほうが個人的には好みでした。


また洋ゲーの話。
『コールオブデューティー インフィニット・ウォーフェア』
こっちのキャンペーンもクリア。
洋ゲーのストーリーモード(キャンペーン)はそんなに長くないので助かります……!
予告編みた時は「こりゃダメかも……」と思ったんですが、
実際にプレイしてみたら超面白かった!
話は、モビルスーツが出てこないガンダムといった感じ。
特殊部隊の指揮官として、残虐な火星独立軍と戦え! という。
未来のジュネーブ、休暇中の兵士たち。その頭上に浮かぶのは、ビルよりもはるかに巨大な宇宙軍の艦隊……ありえない光景なのに、まさにその場面に居合わせているかのような気分にさせてくれるのがFPS(一人称シューティング)の醍醐味です。
あと、主人公をサポートする人工知能ロボット「イーサン」のキャラクターが抜群に素晴らしい。
イーサンのセリフはすべてカッコイイし面白いです。
インターステラーのTARSやナイトライダーのKITTくらい好きなロボットになりました。
キャンペーンモードはエンドクレジットまでよくできてました。
ボタンを押すと、劇中戦死したキャラクターの遺言を聞くことができます。
「あいつ、複雑な家庭で育ったんだな……」とか
「ああ、あのひと同性の配偶者がいたのか……」としんみりして終わる。
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2010/12/12

「なぜ僕はスプラッタな映画やゲームが好きなんだろう」

 北米からの輸入ゲーム『スプラッターハウス』をやってます。昔のアーケードゲームのリメイク。
 舞台は現代のアメリカ。恋人をさらわれて、犯人に致命傷をくらった主人公が、怪しいマスクの力を借りて超人になって戦う。全編がこれもう血みどろの戦いの嵐。「バイオレンスのIT革命やー!」って感じの。
 グラフィックは最新の超一級レベルではありませんが、そこそこ綺麗だと思います。とにかく、僕が日本語版でもないこのゲームを買ったのは、(最近はamazonでも輸入ものが買えるんですよね。便利)残酷描写が凄い! という噂だったから。

「残酷なフィクションばかり楽しんでいると、人格が歪みそう」というイメージがあります。それが犯罪に結びつくかどうかは科学的な根拠が乏しく微妙なところですが、なんとなく感情的には理解できる。確かに、人間の死をエンターテイメントにしていこうってのはあまり正常とは言えないかもしれない。
 でも、世の中「正常っぽい」ものってどんだけあるんでしょうね。テレビのニュース番組だって冷静に見れば「異常」です。 被害者だか加害者なんだかよくわからない歌舞伎役者のことで大騒ぎして。一時期大騒ぎしてた相撲関係の不祥事はもういいんでしょうか? 角界は何も変わってないけど、新しい事件が起きるまで数字が稼げそうにないからとりあえず放置というのも、ちょっといい加減な気がします。大抵の事件は「その後」のほうが大事だったりするんですよ。
 架空のスプラッタよりも、現実の凶悪事件のほうがずっとタチが悪い。どんなに後味が悪い事件でも、どんなに救いのない事件でも、垂れ流しのように報道されている。この手の議論はあちこちで飽きるほど行われているのでこの辺にしておきますが。──そもそも、自分の好きなものを正当化するために「他のもっとおかしなもの」を攻撃しても意味がありません。そういうのは論理のすり替えになります。
 じゃあ、ここで異常性は抜きにして考えてみます。
「なぜ僕は過剰に残酷なゲームや映画が好きなのか?」

 一番近いのはジェットコースターじゃないか、と。
 なぜジェットコースターは怖いのか?
 なぜジェットコースターは面白いのか?
 怖い理由は簡単です。ジェットコースターにベルトや固定具がなかったら、死ぬからです。
「安全は保証されているけど、疑似的に死に近づくことができる」
 これは面白い。死に近づくことは、逆に生を実感することです。
「死地への旅立ちと、そこからの生還」
 という、古代の英雄物語のようなテーマを極めてお手軽に味わうことができる。ジェットコースターが肉体的な死と生還だとしたら、残酷なゲームや映画は精神的な死と生還です。
「たとえ映画の中でどんなに人が死のうと、どんな恐怖があろうと、自分は生きている」
 この一点が、重要なんじゃないでしょうか。

 話はちょっと変わるんですが、最近のアメリカ製残酷映画の人体破壊描写はとんでもない。CGの導入で、リアルなんだけ過剰なんだか……とにかく独特の世界を作りあげつつある。『ランボー4』『パニッシャー・ウォーゾーン』『ドゥームズデイ』あたりがそのオンパレードでした。吹っ飛ぶ手足、飛び出す内臓、けし飛ぶ頭部──。DVDやBDの売り上げを見ると、少なくとも北米ではそういうものに対する需要は強そうです。
 かくいう自分も、最新の人体破壊描写を見ると「ああ、いいなあ」と思う。
 プライベートライアンの残酷描写は「リアルの追求」。
 バッドボーイズ2の残酷描写は「爽快感とギャグ」。
 映画によって残酷描写には色々な意味がありますが、僕は共通して「解放感」を味わっています。
「肉体は魂の牢獄である」とはプラトンの言葉。
 肉体からの解放。牢獄を破壊するという意味での戦闘。スプラッタ描写。
 プラトンの言葉を曲解して、ちょっとした理由づけをしてみました。

 ええと、それじゃあようやく『スプラッターハウス』の話。
 プレイ動画はこんな感じ。もちろん未成年はクリック禁止で。



 弱った敵をつかんで、レバーをぐいっと動かすと敵の体がバラバラ! そしてモニタにまで付着するかのような大量の血飛沫! 盆栽みたいに心が落ち着きます。風流ですね。ああもう、超楽しいです。

 最後にちょっとだけ、ゲームや映画ではなく、スプラッタな小説の話も。
 最近だと、飴村行『粘膜』シリーズの残酷描写が好みです。まとめて買って、ほとんど徹夜で夢中で読みました。文章の残酷描写は、映像とはまた違った趣きがあります。文章は、自分の身体感覚に置き換えるのが比較的容易だと思うんですよ。「痛そうな映像」よりも、「痛い」という言葉で想像力を喚起したほうが強いことがあるんじゃないか、という。
2010/12/11

ちょっとだけモンハンの話。

 逆鱗出ないですね。(最近周囲で流行っている挨拶)
 というわけで、モンスターハンターの新作の話。ポータブル3。面白いですね。締め切り前に出してほしくないゲーム№1です。やりすぎると大変なのがわかっているので、移動中だったりちょっとした空き時間だったり以外はやらないようにしています。
 モンハンといえば素材収集の中毒性がウリなわけですが、アイルーたちが登場してからはまたちょっと趣が変わってきたと感じます。一応説明しておくと、アイルーってのはモンハン世界のしゃべる猫のこと。主人公の身の回りの世話や、採取の手伝いやら、一緒に狩りに出てモンスターと戦ってくれたりするわけですね。
 で、このアイルーたちの存在がヤバい。可愛いというより、ヤバい。
 あれだけ働いてくれるのに、大した見返りを要求しないってのが凄い。
 人間の言葉を話す猫たちが、周囲をうろちょろしてなんでもやってくれるんです。こんな天国みたいな場所があっていいんだろうか、という。
 モンハンの世界は、居心地がよすぎるんですよ。だから逆に「もしかしたら、モンハンは死後の世界なのかもしれない……」と。海外ドラマ『LOST』のキャラクターが、あの島のことを死後の世界なんじゃないかと疑う、あんな感じ。
 これは編集者さんから聞いた話なんですが、モンハンのノベライズ版などにおいて、カプコン側からの強い要望で「人間同士の戦い」を描くのはNGらしいんです。「モンハン世界には相応しくない」と。スタッフが、今の世界観にこだわりを持っているのがわかります。アイルーたちも、基本的には「死なない」という。そこまで徹底して、狩りに集中できる世界を作り込んでいる。だからこそ、天国のように居心地がいい。そりゃそうですよ。アイルーたちみたいな生き物がいれば、戦争も犯罪も減ります。
 もしかしたら、モンハンには『けいおん!』みたいな「部室もの」に通じるものがあるのかもしれません。サザエさんでもホームズでも、キャラクターと同じくらい大事なのが「場所」だと思うんですよ。団欒の舞台となる家がある、事件を解決してくれるベーカー街221Bがある。その安心感が、いい意味での中毒性を生むんじゃないかと。
 モンハンやりながらそんなことを考えましたとさ。
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